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これなーんだ



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ちなみにゴリラでも豪でもありません
劇に関わっているあいつらしいよ
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新潟女子誘拐監禁事件 2

加害者は1989年6月13日に、別の女児に乱暴し同年9月19日有罪判決を受けていたが、警察の被疑者リストには記載されず、警察のずさんな初動捜査が浮き彫りになった。
被害者が保護された際、新潟県警本部長が関東管区警察局長を東蒲原郡三川村(現阿賀町)で麻雀接待していたことが後に発覚、事件の報を聞いても幹部たちは接待を続けた事で、警察への信頼は大きく揺らいだ。
その接待麻雀についても賭け麻雀、つまり現職警察官による賭博罪に該当するのではないかとの疑念が持たれたことについて「現金を賭けたのではなく図書券を景品としただけなので賭博ではない」とした。本人が賭け金を出費していないのであれば賭博罪には当たらない。
後に新潟県警本部長と関東管区警察局長が辞職。二人の辞職について報道番組で報道された際「自ら辞職することで、数千万円の退職金が支払われようとしている。」と報道、その後二人は、退職金受け取りも辞退した。
当時の警察庁長官であった田中節夫も減給処分された。
特定失踪者問題調査会が“北朝鮮に拉致された可能性のある人物”として被害者をリストに入れており、「認定」の杜撰さを指摘する声が一部で上がった(北朝鮮メディアも「拉致問題の否定」のためにこの事件を報道した[要出典])。

新潟女子誘拐監禁事件 1

2000年1月28日、新潟県柏崎市の加害者宅に別件(母親への暴力)で訪れた保健所職員が、中にいた女性を発見・保護に至り、発覚した。
女性は小学校4年生だった1990年11月13日、新潟県三条市で下校途中に行方不明になっていた。実に9年2ヶ月にのぼる誘拐監禁事件であり、社会に多大な影響を与えた。保護されたとき、被害者の女性は19歳で、PTSDと診断され、監禁生活の影響で、同年代の女性に比べて運動能力も著しく低下していたが、現在では自動車を運転できるほどにまで快復し、引き続き療養を受けながら生活を送っている。
加害者(犯行当時28歳)の容疑である当初は未成年者略取罪、逮捕監禁致傷罪であった。未成年者略取罪と逮捕監禁致傷罪は観念的競合として逮捕監禁致傷罪の刑が上限になるとして、監禁致傷罪の懲役10年が上限になり、地裁判決では「犯行は法が想定していた刑期をはるかに越えた最悪のもの」と認定されるなど、罪刑法定主義の観点から刑罰の上限の問題が浮上した。検察が監禁致傷罪以外に別件である窃盗罪が立件されたが、監禁致傷罪と窃盗罪を併せた併合罪の処理が争点となり、最高裁まで争われた。また、検察側は論告で「未決勾留日数を1日でも算出すべきではない」として、長期服役を意図していたことを明白にしていた(判決では未決勾留日数は算出された)。男は懲役14年が確定し、服役中。
9年2ヶ月もの長期間にわたって監禁して虐待した者が、たった14年の懲役で許されるのか…という激しい世論が起こり[要出典]、その後の厳罰化への一石となった事件である。加害者が、長期間の引きこもりであった事も、話題のひとつとされた。
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さとうけんじ

Author:さとうけんじ
2011年度都立国立高校3600。
国高きっての茶番クラス。
平成21年4月発足後、目に
見えない何かを着々と積み
上げてきた。

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